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松山地方裁判所 平成5年(ワ)286号 判決

主文

一  被告は原告に対し、別紙船舶目録記載の船舶を引き渡せ。

二  被告は右船舶について、松山地方法務局平成三年七月一二日受付第五八号所有権保存登記の抹消登記手続をせよ。

三  被告は、平成三年七月一六日付で四国運輸局松山海運支局の船舶原簿に番号一三二〇六九号をもつて登録された。右船舶の抹消登録手続をせよ。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

六  この判決は一項について仮に執行することができる。

理由

第一  原告の請求

一  主文一項ないし三項と同旨。

二  被告は原告に対し、金四九七五万円及びこれに対する平成五年六月一二日(訴状送達の日の翌日)から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、本件ヨットの所有者と主張する原告が、本件ヨットの所有権保存登記、運輸局の船舶原簿への登録をして、本件ヨットを現在占有使用している被告を相手に、本件ヨットの所有権に基づき、本件ヨットの引き渡し、所有権保存登記の抹消登記手続、船舶原簿の抹消登録手続を求めるとともに、不法行為による本件ヨットの所有権侵害を理由に、損害賠償金四九七五万円(五〇万ドル)及びその遅延損害金の支払を求めた事案である。

一  前提事実

1  原告は、米国デラウエア州法人であり、その代表者は、ガブリエル・エイ・エスパサス(以下「エスパサス氏」という。)である。被告は、パスポート・シッピング・ジャパンという商号で、ヨットやモータークルーザーの輸入販売業を営んでいる者である。

2  原告は、一九九〇年六月四日、英国法人であるパルシファル・リミテッド(以下「パルシファル社」という。)、イタリア法人であるパジリポ・リミテッド・インターナショナル(以下「パジリポ社」という。)、イタリア人であるデニス・マイケル・ノウリ(以下「ノウリ氏」という。)の三者を売主とする売買合意書に署名し、パルシファル社を売主とする同年六月二七日付の売渡証書の交付を受けて、別紙船舶目録記載のヨット(以下「本件ヨット」という。)を一九五万ドルで買入れ、同年九月二七日には米国沿岸警備隊が管理する公開登録簿に、ペンシルヴァニア州のフイラデルフィアを母港として、原告が本件ヨットの所有者である旨の登録(船名・カロライン)を了した。

3  ところが、被告も、一九九〇年一〇月二〇日イタリア・ジェノバのボートショー会場で、パジリポ社(代表者・ノウリ氏)から、本件ヨットを二三三万二〇〇〇ドルで買入れた。本件ヨットは、一九九〇年一二月一日頃船積みされ、イタリアの港から日本に向けて出港し、一九九一年一月三日大坂の港、同年一月六日松山の港に到着した。被告は平成三年(一九九一年)七月一二日、松山地方法務局で本件ヨットの所有権保存登記(名称・クイーンシャトー)を了し、同年七月一六日四国運輸局松山海運支局の船舶原簿に本件ヨットの登録を了した。

二  当事者の主張

1  本件ヨットの所有権の帰属について

(一) 原告の主張

本件ヨットは、米国ペンシルヴァニア州・フィラデルフィアに母港を有する、米国船籍のヨットである。日本の国際私法では、船舶所有権の得喪は船舶の旗国(登録国)法によつて定められている。ペンシルヴァニア州では、所有権の取得について保護を受けるためには、前所有者の作成した売渡証書、又はこれに代わる宣誓陳述書の交付を受けることが必要である。

原告は、前所有者パルシファル社作成の売渡証書の交付を受けて、本件ヨットの所有権を取得した。被告は、原告から本件ヨットの売渡証書、又はこれに代わる宣誓陳述書の交付を受けていないので、本件ヨットの所有権取得につき保護を受けることができない。

なお、被告がイタリア・ジェノバのボートショー会場において、本件ヨットを買入れたものとしても、イタリア法においても、ヨットの所有権移転については旗国(登録国)法が適用されるため、やはり米国ペンシルヴァニア州法が準拠法となる。

被告は、本件ヨットの即時取得(民法一九二条)を主張するが、そもそも本件については日本法が準拠法にはならない上、日本法では、登記を対抗要件とする船舶には即時取得の適用がなく、イタリア法でも、登記を公示手段とする船舶には即時取得の余地がない。

(二) 被告の反論

本件係争の原因は、被告がイタリアのジェノバという一定の地域において、市場の商人であるパジリポ社から、商品として本件ヨットを購入したことに端を発するのであり、本件については、「公海を移動中の船舶」を対象とした旗国法を準拠法とすべき必要性は存在しない。

仮に、本件については、原告が主張するように「旗国法を準拠法をすべき」だとしても、原告は本件ヨットの登録更新をしていないのであるから、原告は旗国法による保護を受けることはできない。

被告は、一九九〇年一〇月二〇日イタリア・ジェノバのボートショー会場で、パジリポ社が本件ヨットの所有者であると信じて、本件ヨットを二三三万二〇〇〇ドルで買入れたのであり、被告は、民法一九二条所定の即時取得の規定により、本件ヨットの所有権を取得した。

2  占有者の費用償還請求権及び留置権

(被告の抗弁)

(一) 被告の主張

被告は、本件ヨットの占有者であるから、もし本件ヨットを原告に返還しなければならないとすると、本件ヨットの保存のために費やした次の各費用の償還を求め(民法一九六条)、その償還を受けるまで、本件ヨット上に留置権(民法二九五条)を行使する。

(1) 本件ヨットの購入代金三億〇七七〇万四七二五円、及びこれに対する支払期日の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金

(2) 本件ヨットをイタリアから日本に輸送した代金(保険料を含む)一二五〇万円)

(3) 本件ヨットの輸入に関し、日本国に支払つた消費税九七四万三三〇〇円

(4) 本件ヨットが日本に到着したときに支払つた荷役料六二万四〇〇〇円

(5) 本件ヨット保管のために漁業組合に支払つた繋船料一〇五万円

(6) 本件ヨットを商品として維持・管理するための費用(平成六年九月までの人件費)一三五〇万円

(7) 日本での本件ヨット補修費一一七四万三二四七円

(二) 原告の反論

被告が本件ヨットにつきいかなる費用を支出したのか、明らかではないが、いずれにせよ、被告の占有は「不法行為により始まりたるもの」であるから、留置権は成立しない(民法二九五条二項)。

即ち、右「不法行為」とは、過失により占有が開始された場合を含むところ、被告は、本件ヨットの登記・登録の有無を調査せず、売渡証書の確認もしなかつたのであるから、被告には少なくとも過失があつたことは明らかである。

3  不法行為による損害賠償請求(原告の請求)

(一) 原告の主張

被告がパジリポ社から本件ヨットを買入れるに際して、本件ヨットの登記・登録関係を確認していないこと、被告は、本件ヨットの売渡証書の交付を受けず、その確認もしていないことに照らすと、被告には過失の存在が明らかである。被告の不法行為により原告が被つた損害額は、次のとおり合計八七万ドルに上るが、原告は本訴では内金五〇万ドルを請求する。なお、本訴の口頭弁論終結時である一九九四年九月二七日の為替レートによると、一ドルは九九・五円であるから、五〇万ドルは四九七五万円となる。

(1) 原状回復・運搬費用等--二〇万ドル

原告が本件ヨットの占有を回復した後、本件ヨットを米国まで搬送するのに必要な運送費・保険料及び荷役費用は、約二〇万ドルが必要である。

(2) 本件ヨットの賃料相当損害金--四七万ドル

被告は、一九九〇年一〇月二〇日(本件ヨットの購入日)から一九九四年九月二七日(口頭弁論終結日)まで、約三年一一か月(四七か月)にわたり、本件ヨットを権原なく占有使用した。

従つて、被告は原告に対し、右期間について賃料相当損害金の支払義務があるところ、本件ヨットは極めて高価なものであり、本件ヨットの賃料相当損害金は月額一万ドルを下らないので、現在までの賃料相当損害金の合計は四七万ドルである。

(3) 弁護士費用--二〇万ドル

本件ヨットの価値に前記(1)(2)の損害賠償金を加えると、本訴の請求額は二億円を越える。そして、被告の不法行為により、原告はイタリア、英国、米国、日本の弁護士を選任して、調査及び法的手続を取らざるを得なかつたものである。

ところで、日弁連の報酬規定によると、二億円に対応する弁護士報酬額は二〇三九万七〇〇〇円(事案の国際的性格に鑑み、日弁連報酬規定一八条二項による三割の増額をしたもの。)であり、一ドル九九・五円で換算して、二〇万ドルを越える。

本件は国際的なケースであるため、日・米・英・伊の四か国の弁護士費用がかかつており、弁護士費用が右二〇万ドルを下ることはない。

(二) 被告の反論

被告は、一九九〇年一〇月二日頃パジリポ社からイタリア・ジェノバでのボートショーへの招待を受け、同年一〇月一六日同ボートショー会場へ行き、同年一〇月二〇日パジリポ社から代金二三三万二〇〇〇ドルで、ボートショー会場に展示されていた本件ヨットを買入れた。

被告は、本件ヨット買入後、テスト航行・内外の改装を行うため、イタリア国内において、本件ヨットを延べ四〇日間も平穏公然と占有していたのである。

以上の次第で、被告が本件ヨットをパジリポ社から買入れたことについて過失はなく、原告に対する不法行為による損害賠償責任など認められない。

三  争点

1  本件ヨットの所有権の帰属について

2  被告主張の費用償還請求権及び留置権の正否

3  原告主張の不法行為の正否及びその損害賠償額

第三  争点に対する判断

一  事実関係について

1  本件ヨットの製造等

《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(一) 本件ヨットは、当初パジリポ社がブラッドフォード・アレン・インクのために、一九八六年にイタリアのサバウディアで製造したものである。

(二) ブラッドフォード・アレン・インクは、一九八七年一月八日米国法人であるカリスタ・インクに対し本件ヨットを売却して、米国沿岸警備隊が管理する公開登録簿に、本件ヨットの所有権移転の登録がなされた。

(三) カリスタ・インクは、一九八九年三月三一日英国法人であるパルシファル社に対し、本件ヨットを売却した。本件ヨットは、同年四月一九日に米国でのカリスタ・インクを所有者とする登録が抹消され、同年七月一四日英国でパルシファル社に対する所有権移転登録がなされた。

(四) その後、パルシファル社がパジリポ社に対し本件ヨットを売却したが、本件ヨットの登録関係は、引き続きパルシファル社を所有者とする英国での登録のままであつた。

2  原告・パジリポ社間の売買契約の締結等

《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(一) 原告(代表者はエスパサス氏)は、一九九〇年春頃からウッズ・アンド・オヴィアット・インク(担当者はアレジャンドロ・ヴィラロン)を仲介人として、パリジポ社(代表者はノウリ氏)から本件ヨットを買入れる交渉を続け、パリジポ社の宣伝用として、パジリポ社の費用で本件ヨットをボートショー会場に展示する権利をパジリポ社に認めることを条件として、本件ヨットを代金一九五万ドルで買入れる旨の合意に達した。

(二) そこで、一九九〇年六月四日、パルシファル社、パジリポ社、ノウリ氏の三者が売主欄に署名し、原告、エスパサス氏の二者が買主欄に署名して、本件ヨットの売買合意書が作成された。本件ヨットは当時未だ英国籍であり、パルシファル社を所有者として英国で登録されていたため、パルシファル社が売主に加えられたのである。そして、原告は、パルシファル社を売主とする同年六月二七日付の売渡証書の交付を受けた。

(三) 原告は直ちにノウリ氏に対し一九五万ドルを支払つた。エスパサス氏は、本件ヨットを自分の趣味に合つた内装・外装に修理・改造することをパジリポ社に依頼し、パジリポ社の手元に本件ヨットを残して帰国した。本件ヨットの登録関係については、一九九〇年九月三日にパルシファル社を所有者とする英国での登録が抹消され、同年九月二七日に米国で原告を所有者とする登録がなされた。

(四) エスパサス氏は、一九九〇年八月頃妻・娘同伴で再度イタリアを訪れ、ローマで本件ヨットの内装に使用する材料を選んだ後、パジリポ社に申し出て本件ヨットに試乗したところ、パジリポ社がエスパサス氏に約束していた本件ヨットの修理・改造が、殆ど行われていなかつた。そこで、エスパサス氏がノウリ氏に対し、本件ヨットの修理・改造の早期実施を迫り、ノウり氏がエスパサス氏に対し再度それを約束したので、エスパサス氏はその言葉を信じて、イタリアから帰国した。

3  被告・パジリポ社間の売買契約の締結等

《証拠略》によると、次の事実が認められる。

(一) 被告は、一九九〇年一〇月二日パジリポ社から、イタリアのジェノバで開催されるボートショーの招待を受け、同年一〇月一六日妻同伴でジェノバで行き、ボートショー会場でパジリポ社が展示していた本件ヨットを見た。

(二) 被告は、パジリポ社が本件ヨットを製造したことや、パジリポ社が本件ヨットをボートショー会場に展示していたことから、本件ヨットはパジリポ社の所有であると信じ込んでいたのであり、パジリポ社の代表者であるノウリ氏との間で、本件ヨット購入について話し合つた。ノウリ氏は、本件ヨットは原告に売却したものであるのに、本件ヨットが未だパジリポ社の所有であるかの如く装い、その旨誤信している被告を騙して、本件ヨットを被告に二重売買しようと企だてたのである。

(三) その結果、被告は、一九九〇年一〇月二〇日パジリポ社との間で、ジェノバのボートショー会場近くの海上に停泊中の本件ヨット内で、本件ヨットを代金二三三万二〇〇〇ドルで買入れる契約を締結した。そして、被告はパジリポ社に対し、本件ヨットの売買代金として、同年一〇月二〇日手付金五〇〇万円を現金で交付し、更に、同年一〇月二四日内金一億四二七五万六九九〇円、同年一一月八日残金一億四九二四万八〇〇〇円、同年一一月一六日為替レートの誤差分五七三万二五八五円をいずれも日本から銀行送金して、以上総額三億〇二七四万〇二七五円(二三三万二〇〇〇ドル)を支払つた。

(四) そして、被告は、〈1〉本件ヨットを日本に持ち帰るのに必要な電圧の変更、〈2〉同じく乗降タラップの仕切り変更、〈3〉機器類や船底にトラブルがないかの点検整備、〈4〉スクリュウの取り替え、〈5〉内部カーテンの取り替え(被告の趣味に合つた柄に取り替える。)等を、イタリア国内で実施することになつた。そこで、被告は、本件ヨットの整備点検費用として、一九九〇年一〇月二五日パジリポ社に対し、日本から九九六万円を送金した。

(五) そのため、被告は、パジリポ社のキャプテン・アントニオが操縦する本件ヨットに乗船して、次のような経過を辿り本件ヨットの整備点検を行つた。

(1) 一九九〇年一〇月二五日、本件ヨットを航行してジェノバからラティーナまで行き、ラティーナにあるパジリポ社の修理工場で、本件ヨットの整備点検作業を行つた。

(2) 一九九〇年一一月九日、更に本件ヨットを航行してラティーナからテレシーナまで行き、パジリポ社と提携している造船所で、本件ヨットの船底確認作業を行つた。

(3) 一九九〇年一一月一四日、本件ヨットを航行して再びテレシーナからラティーナに戻り、同年一一月二四日まで、パジリポ社の修理工場で本件ヨットの整備点検作業を行つた。

(六) 本件ヨットの整備点検作業は、一九九〇年一一月二四日に終了した。そこで、被告は、再びアントニオが操縦する本件ヨットに乗船してラティーナを出発し、同年一一月二七日リボルノ港に到着した。本件ヨットは、リボルノ港で日本に向かう貨物船「アムステルグラハト号」に搭載され、同年一二月一日リボルノ港を出港し、一九九一年一月三日大阪港、同年一月六日松山港に到着した。

(七) 被告は、本件ヨットを製造したパジリポ社が、本件ヨットをボートショー会場に展示していたことから、本件ヨットはパジリポ社が所有しているものであり、パジリポ社の新造船(即ち未登録船)であると信じて買入れたものであるため、本件ヨットの登記・登録関係については、注意を払わなかつた。従つて、被告は、本件ヨットの売買契約に際しては、誰からも売渡証書や宣誓陳述書の交付も受けなかつた。

(八) そもそも、被告は、本件ヨットを購入した一九九〇年一〇月までに、約五〇隻近いヨットを購入しているが、それらのヨットはいずれも二〇トン未満のヨットであり、日本で船舶登記をする必要のないヨットであつた(商法六八六条二項参照)。そのため、被告は、本件ヨットをイタリアで買入れた際にも、本件ヨットについて船舶登記制度が問題になるものとは思つてもいなかつたのであり、本件ヨットを日本に持ち帰つて始めて、本件ヨットは船舶登記をしなければならないことを知つたのである。

(九) ところが、被告が日本で本件ヨットの所有権保存登記をするのに必要な書類の送付について、パジリポ社が一切協力しなかつたため、被告の方で事実関係を調査した結果、パジリポ社が本件ヨットを原告に売却し、原告が米国で本件ヨットの登録をしていることを知つた。そこで、被告は、松山地方法務局には、パジリポ社から本件ヨットを購入した旨の上申書を提出して、平成三年七月一二日本件ヨットの所有権保存登記をし、松山海運支局長には、原告の代理人であるパジリポ社から本件ヨットを購入した旨の申述書を提出して、同年七月一六日船舶原簿に被告を所有者とする登録をした。

二  争点1(本件ヨットの所有権の帰属)について

1  準拠法等について

前記一の認定によると、パジリポ社は、遅くとも一九九〇年春頃には本件ヨットをパルシファル社から買入れていたが、その登録手続が未了であつたため、本件ヨットの登録は、依然として英国でパルシファル社を所有者としてなされていたところ、原告は、一九九〇年六月四日パジリポ社から本件ヨットを一九五万ドルで買入れ、パルシファル社を売主とする売渡証書の交付を受け、同年九月三日パルシファル社を所有者とする英国での登録を抹消し、同年九月二七日英国で原告で所有者とする登録を了した。

従つて、被告が一九九〇年一〇月二〇日パジリポ社との間で、本件ヨットを代金二三三万二〇〇〇ドルで買入れる旨の契約を締結した時点では、本件ヨットは、既に米国で原告を所有者とする登録がなされていたものであり、米国ペンシルヴァニア州・フィラデルフィアに母港を有する米国船籍のヨットであつた。

ところで、物権準拠法は目的物の所在地法による(法例一〇条一項)が、船舶や航空機の如く常時移動してその物理的な所在地の確定が困難であり、又は確定可能な場合にも、偶然に所在する場所により物権関係を決定することが不適当・不可能なものについては、右の所在地法は、登録地法(旗国法)を意味すると解されている。

従つて、登録済み船舶である本件ヨットの所有権の得喪は、登録地法(旗国法)である米国ペンシルヴァニア州法が準拠法となる。そして、米国ペンシルヴァニア州法では、所有権の取得について保護を受けるためには、前所有者の作成した売渡証書、又はこれに代わる宣誓陳述書の交付を受けることが必要である。

原告は、前所有者パルシファル社作成の売渡証書の交付を受けて、本件ヨットの所有権を取得し、米国で本件ヨットの登録を了した。しかるに、被告は、原告から本件ヨットの売渡証書、又はこれに代わる宣誓陳述書の交付を受けていないので、本件ヨットの所有権取得につき保護を受けることができない。

2  本件ヨットの米国での登録の更新について

被告は、原告が本件ヨットの登録更新をしていないので、原告は旗国法による保護を受けることはできないと主張する。

しかし、登録の有無は、被告が本件ヨットについて売買契約を締結した一九九〇年一〇月二〇日時点を基準とすべきであり、同時点で原告が米国において本件ヨットの登録を了していたのであるから、原告が旗国法による保護を受けることができることは明らかである。

しかも、《証拠略》によると、本件ヨットは現在も、米国で原告を所有者として登録されており、同登録が現在も有効であることは米国沿岸警備隊当局も承認しているところであつて、原告は、被告から本件ヨットの引渡を受けて占有を回復しさえすれば、本件ヨットの登録を更新できる法的地位にあることが認められる。

被告の前記主張は理由がない。

3  即時取得について

被告は、パジリポ社が本件ヨットの所有者であると信じて、パジリポ社から本件ヨットを二三三万二〇〇〇ドルで買入れたのであり、民法一九二条所定の即時取得の規定により、本件ヨットの所有権を取得したと主張する。

しかし、そもそも、本件においては日本法が準拠法とはならないのであるから、民法一九二条に基づく即時取得を主張する被告の主張は、既にこの点において失当である上、日本法の下でも、登録動産については、即時取得の適用が認められていないところ(最高裁昭和六二年四月二四日判決・判例時報一二四三号二四頁)、本件ヨットは船舶登記制度の適用があるから(商法六八六条)、被告は本件ヨットの即時取得を主張できない。

しかも、被告主張の売買当時のヨット所在地(法令一〇条)であるイタリア法でも、即時取得の規定(イタリア民法一一五三条)は、登録制度の適用を受ける船舶については適用がないと解されており、イタリアでは、本件ヨットはレジャボートとして登録制度の適用を受ける船舶であるから、被告は本件ヨットの即時取得を主張できない。

被告の前記主張も理由がない。

三  争点2(費用償還請求権及び留置権)について

1  民法一九六条について

民法一九六条は、占有者が費用を支出して占有物を保存し、又は改良して増価をもたらした場合には、占有を回復する本権者に対し、その物について生じた保存・増価を理由として、占有者に費用を償還すべき義務を課している。

そして、占有物の保存のために支出した費用を必要費という。必要費のうち占有物の平常の保存に要するものを通常の必要費といい、果実取得者の負担としており、非常時の保存費用と区別している(民法一九六条一項)。

次に、占有物の改良のために支出した費用を有益費という。有益費償還請求権が認められるためには、占有物の価額の増大(増価)が現存していることが必要である(民法一〇六条二項)。

2  費用償還請求権の有無について

(一) まず、被告が主張している費用償還請求のうち、(1)本件ヨットの購入代金及びその遅延損害金、(2)本件ヨットをイタリアから日本に輸送した代金、(3)本件ヨットの輸入に関し日本国に支払つた消費税、(4)本件ヨットが日本に到着したときに支払つた荷役料が、必要費・有益費のいずれにも該当しないことは明らかである。

(二) 次に、被告が主張している費用償還請求のうち、(5)本件ヨット保管のために漁業組合に支払つた繋船料、(6)本件ヨットを商品として維持・管理するための費用(人件費)は、占有物の平常の保存に要する通常の必要費と認められるところ、被告は、現在に至るまで本件ヨットを占有使用しており、占有物の果実を取得している者であるから、これら通常の必要費は被告の負担であり、原告に費用償還請求はできない。

(三) 更に、日本での本件ヨットの補修費(前記(7))は、《証拠略》の修理費及び経費台帳にその細目が記載されており、その記載が全て真実であつたとすると、これらの補修費は、占有物の平常の保存に要する通常の必要費か、有益費であることが認められる。

そして、占有物の通常の必要費に属する補修費は、占有物の果実を取得している被告が負担すべき費用であり、有益費に属する補修費は、その増価額が現存していることが必要であるのに、右増価額の現存を認めるに足りる的確な証拠がないので、いずれにしても、被告は原告に対し、必要費・有益費償還請求ができない。

(四) なお、被告は、前記(1)で主張している本件ヨットの購入代金のなかに、イタリアでの本件ヨットの修理代金も含めて主張している可能性もあるので、以下念のため、イタリアでの本件ヨットの修理代金九六九万円についても、考察を加える。

前記一の3の(四)の認定によると、イタリアでの本件ヨットの修理の細目は、〈1〉本件ヨットを日本に持ち帰るのに必要な電圧の変更、〈2〉同じく乗降タラップの仕切り変更、〈3〉機器類や船底にトラブルがないかの点検整備、〈4〉スクリュウの取り替え、〈5〉内部カーテンの取り替え(被告の趣味に合つた柄に取り替える。)である。

そのうち、〈1〉〈2〉〈3〉が必要費・有益費に該当しないことは明らかであり、〈4〉〈5〉は有益費に一応該当するが、増価額が現存していることを認めるに足りる証拠がない。

即ち、エスパサス氏は、一九九〇年八月頃再度イタリアを訪れ、本件ヨットの内装に使用する材料を選んだ後、本件ヨットに試乗しており、原告がスクリュウを取り替える前の旧スクリュウが、故障していたものとは認められないし、内部カーテンも被告の趣味にあつたもので、原告の趣味にあつたものではないことを考慮すると、前記〈4〉〈5〉の修理について、増価額が現存しているものと認めるのは困難である。

3  小括

以上の次第で、被告が原告に対し、占有者の費用償還請求権を有するものとは認められないので、被告が主張している留置権の抗弁は理由がない。

四  争点3(不法行為による損害賠償請求)について

1  準拠法について

法令一一条は、不法行為による損害賠償請求権の成立については、その原因たる事実が発生した地の法律によると規定しており、被告は本件ヨットをイタリアで買入れたのであるから、本件についてはイタリア法が準拠法になるところ、イタリア法の不法行為規定(イタリア民法二〇四三条)は、日本民法七〇九条と同じく過失責任主義である。

従つて、被告が本件ヨットの所有者がパジリポ社であると信じ、パジリポ社との間で本件ヨットの売買契約を締結して、パジリポ社から本件ヨットの引渡を受けて日本に持ち帰り、原告の本件ヨットについての所有権を侵害したことについて、過失があつたか否かが問題となる。

2  過失の有無について

(一) 被告のミスを責めるのは酷であること

前記一の認定によると、被告は本件ヨットを購入するまで約五〇隻近いヨットを購入しているが、それらのヨットはいずれも二〇トン未満のヨットであり、日本では船舶登記制度の適用がないヨットであつたため、被告は、本件ヨットを買入れた際にも、本件ヨットについての登記・登録関係につき気が回らなかつたのである。

しかも、本件ヨットを製造したパジリポ社が、本件ヨットをボートショー会場に展示していたことから、被告は、本件ヨットはパジリポ社が所有しているものであつて、パジリポ社の新造船(即ち未登録船)であると信じて、本件ヨットを買入れたものであるため、本件ヨットの登記・登録関係については、なおのこと注意を払わなかつたのである。

そのため、被告は、本件ヨットの売買契約に際しても、売渡証書やそれに代わる宣誓陳述書の交付について、配慮しなかつたのであり、以上の諸事情を考慮すると、被告のミスを一方的に責めるのは、気の毒な実情にあつたことが認められる。

(二) 原告にも落ち度があつたこと

原告(エスパサス氏)は、一九九〇年六月四日パジリポ社から本件ヨットを買入れ、本件ヨットを自分の趣味に合つた内装・外装に修理・改造することをパジリポ社に依頼し、パジリポ社に本件ヨットをジェノバのボートショー会場に展示する権利を認めた上で、本件ヨットをパジリポ社の保管に委ねていた。

しかも、原告(エスパサス氏)は、一九九〇年八月本件ヨットに試乗したところ、パジリポ社が本件ヨットの修理・改造を殆どしていないことが判明したのに、依然としてパジリポ社を信用し、パジリポ社に本件ヨットの占有管理を続けさせ、本件ヨットをボートショー会場に展示する権利を認める契約条項を見直さなかつたことが遠因となつて、その後の一九九〇年一〇月二〇日、被告がパジリポ社に騙され、本件ヨットを購入させられたのである。

そもそも、被告がパジリポ社との間で本件ヨットの売買契約を締結した後も、本件ヨットは、一九九〇年一二月一日頃まで、修理改造のためにパジリポ社の修理工場等に保管されていたのであり、その間、原告(エスパサス氏)は、パジリポ社に不信の念を抱きつつも、何ら積極的な手を打たなかつたため、本件ヨットがイタリア国外に搬出されてしまい、原告は決定的な損害を被つたのである。

原告(エスパサス氏)が、パジリポ社に不信の念を抱いた一九九〇年八月から一一月にかけて、自分の権利を守るために何もしなかつたことが、悔やまれてならない。以上の次第で、パジリポ社が本件ヨットを原・被告両名に二重売買し、原告が損害を被つたことについては、原告にも落ち度があつたのであり、本件は、原告が被告の過失責任を問題とする前に、原告自身の落ち度も充分に反省すべき事案である。

(三) 被告も重大な損害を受けていること

原・被告両名ともに、パジリポ社に騙された被害者であることには変わりがない。同じ被害者でありながら、準拠法の関係で、被告は、原告に対し本件ヨットの所有権取得を主張できず、原告に本件ヨットを引き渡さなければならないのである。

しかも、原告は本件ヨットを一九五万ドルで購入しているが、被告はそれを上回る二三三万二〇〇〇ドルで本件ヨットを購入しているのであり、この上更に被告に不法行為責任を認め、原告に対する多額の損害賠償金の支払まで命じることが、果して妥当か、大いに疑問がある。

(四) 以上の諸事情を総合すると、被告がパジリポ社との間で本件ヨットの売買契約を締結し、パジリポ社から本件ヨットの引渡しを受けて日本に持ち帰り、原告の本件ヨットについての所有権を侵害したことについて、被告には、不法行為責任を問われる程の過失があつたものと認めるのは困難である。

第四  結論

一  以上の認定判断によると、本件ヨットの所有者は原告であり、被告が本件ヨットについて所有者として所有権保存登記を経由し、船舶原簿に所有者として登録を経由していることについては、原告の本件ヨットを所有権を侵害するものであるから、被告は原告に対し、本件ヨットについて、その引渡義務、所有権保存登記の抹消登記義務、船舶原簿登録の抹消登録義務がある。

二  よつて、原告の本訴請求は、右認定の限度で理由があるから認容し、不法行為に基づく損害賠償請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条・九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 紙浦健二)

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